下村湖人(しもむら こじん、1884年10月3日 – 1955年4月20日)は、佐賀県神埼郡(現・神埼市)出身で、昭和初期を中心に活躍した小説家であり、社会教育活動にも貢献した。 本名は虎六郎(ころくろう)であったが、感銘を受けたスコットランドの詩人ウォルター・スコットの代表作『湖上の美人』にちなんで「湖人」と号した。東京帝国大学英文科を卒業後、母校である佐賀中学校の教師や鹿島中学校の校長を務めるなど、教育者としての道を歩んだ。その後、教職を辞し、郷里の先輩である田澤義鋪のもとで社会教育活動に尽力し、特に勤労青年を対象とした教育に貢献した。また、唐津高等学校や鹿島高等学校の校歌の作詞も手がけるなど、地域教育にも深く関わった。
代表作『次郎物語』は、自伝的要素を含む長編小説で、昭和初期から戦後にかけて多くの読者に愛された。1936年に雑誌「青年」で連載を開始し、次郎の成長を通じて教育の本質や人間形成の重要性を描き、日本の青少年に大きな影響を与えた。作品は映画化やラジオ放送もされ、戦後の日本文学において不朽の名作となった。下村は『次郎物語』を第七部まで執筆する予定だったが、病に倒れ、第五部で未完となる。1955年に71歳で逝去し、その功績は教育と文学の両面で今もなお語り継がれている。